「私,前の職場,ここがムリで辞めました」
(case001)
エマさんの場合
◆「私,前の職場,ここがムリで辞めました」をおしえてください:
うまく伝えられるかドキドキしながら投稿します。
私が前職場を辞めたのは「うつ発症」と「大量離職者」のタイミングが重なったからです。
私は先輩獣医師にはとても恵まれていたので前職場に入ったこと自体が悪だったとは思っていません。でも私はうつになりました。
新人の私は日々の往診をこなすことに精一杯で、土日関係なく当番ではない日も往診ばかりしていました。当時、うちの職場では、土日に残った再診は当番に任せず自分で回りましょうというスタイルでした。
農家に頼られて私が行ってあげなくちゃと思い、また感謝されることが嬉しくて、というような理由で自分の時間をどんどん減らした結果、気が付くと毎日蕁麻疹がでるようになり、疲れは取れず、ある朝、視界がぐるぐる回って起き上がれなくなりました。
まさか自分が、と認められずに苦しかったし、いざ病院を受診してからもなかなか自分に合う薬が見つからず躁鬱を繰り返し、10年経って元気になった今でも薬は飲み続けています。
皆が忙しかったから休むことが申し訳なくて調子が良くなっては出勤し、また悪くなっては休み、という事を続けていたのも回復を遅らせた原因でしょう。
丁度同じ時期に獣医師全体をまとめていた課長が病気になり、その後亡くなりました。所長も定年退職しました。
自分の見栄や権力にこだわる上司が、後継として適任の人望のある上司を踏みつけるようにトップになり、そこから組織はみるみる内に破綻していきました。
私の大好きな先輩たちは職場への不信感が募り退職・開業を決め、結果的に一斉に6人の離職者を出しました。うつの症状が一向に良くならなかった私は、この混乱期に便乗して突発的に辞めた感じになりました。
農家を見捨てていくようで後からとても後悔しましたが、この時、自分の身は自分で守らないと誰も助けてはくれないと悟りました。
◆ 相談できる人は職場にいましたか?(選択:いた/いなかった):
いた
◆「ここがこうだったら続けられたのに」があったら,おしえてください:
皆をまとめてくれていた課長が元気でいてくれたら・・・
先輩が辞めずにいてくれたら・・・
往診が分担できるシステムだったら・・・
入社時に「定年まで勤めあげたいな」と思った私の意思は貫けたのかもしれません。(2019-02-09)
(コメント001)ハルウララ さんより:
お気持ち、事情、お察しします。責任感のつよいエマさんのことですから、ほんとにつらく、辞めるのも複雑な思いだったことと思います。
私も、入社三年目に突発性難聴にかかりました。仕事がおもしろくなり、農家からの信頼がうれしくなるころでした。ちょうど夏休みの取得期間で、振休や有休がとりづらく、ものすごく忙しかった時期の激務が原因でした。今は健常な耳と、り患した耳で少しだけ聴力に差はありますが、ほぼ完治です。しかし発症から三年間、私も低音感音障害やメニエルとも診断がつかない状態の再発を数回繰り返しました。感覚器の病気なので、命に関わることではないのですが、発症しているときは絶望にいます。
最初に発症したときに、やはり当時の所長の理解がなく、「休みをください」と言ったときの反応が「私の夏休みの返上」でした。療養を夏休みを使ってしろ、と。たまたま、隣に座っていた先輩が所長に「それはおかしいでしょ? 休まないといけない病気なんですよ。休みを減らしてどうするんですか? どうせ有休余ってるんだから、最低1週間有休取らせてやったらいいじゃないですか。」「オマエは、何も心配しなくていいから、今から帰って休め。診療は任せとけ」と言ってくださり、1週間の有休をとらせてくれました。
辞めるか辞めないかは、あの先輩の言葉で左右されたと思います。たまたま、あの先輩がその場にいてくれた、それだけのことです。私は辞めずに残った側です。なので、まわりに何かあったときに、あの時の先輩のように声をかけられる立場になりたいと思います。
うつも難聴も、いつ誰がなってもおかしくない病気です。自分自身も病気がよくわからず、私も「まさか私が」とも思いました。そして周りの理解や協力なしでは治療もしにくい… エマさんもつらかったでしょうね。ゆっくり療養なさってください。(2019-04-14)